2006年06月11日 (日) | 編集 |
ユーミンこと松任谷由実さんの新しいアルバム「A GIRL IN SUMMER」が出ました。
ラジオでも何度もかかるようになってきた「Forgiveness」という曲が耳に残ります。
この歌が使われているCMの印象と少し違う。
優しいメロディーラインとともに、大きな神の御心が感じられました。
♪ゆるし合う ほほえみは 神様にもらった
最高の贈りもの どんなことがあっても
大切な誰かを ずっと愛し続けるため
わたしは別に信仰に厚いものでもないのでおかしな話ですが、
こうした大きなチカラを信じたいと思うタイプなのです。
人をゆるすというココロの働きは、他人を癒すと同時に自分を癒すことにもなる。
世界のあちこちで起こっている諍いも、
それぞれの立場を認め、お互いを信頼し合い、
お互いをこの地上における大切な存在であることを
認め合うことができたら・・・・きっと・・・。
東芝EMIのスペシャルサイト「A GIRL IN SUMMER」では、
ユーミン自らによるアルバム解説などが見ることができます。
心地いい波の音を聞きながら、この記事を書いています。
ラジオでも何度もかかるようになってきた「Forgiveness」という曲が耳に残ります。
この歌が使われているCMの印象と少し違う。
優しいメロディーラインとともに、大きな神の御心が感じられました。
♪ゆるし合う ほほえみは 神様にもらった
最高の贈りもの どんなことがあっても
大切な誰かを ずっと愛し続けるため
わたしは別に信仰に厚いものでもないのでおかしな話ですが、
こうした大きなチカラを信じたいと思うタイプなのです。
人をゆるすというココロの働きは、他人を癒すと同時に自分を癒すことにもなる。
世界のあちこちで起こっている諍いも、
それぞれの立場を認め、お互いを信頼し合い、
お互いをこの地上における大切な存在であることを
認め合うことができたら・・・・きっと・・・。
東芝EMIのスペシャルサイト「A GIRL IN SUMMER」では、
ユーミン自らによるアルバム解説などが見ることができます。
心地いい波の音を聞きながら、この記事を書いています。
2006年06月11日 (日) | 編集 |
Broachに移ってからの初めての記事になります。
昨日、しばらく通っていた歯医者さんで"おひとりさま"という言葉と出会いました。
世間を知らないというのか、この言葉を始めて認識しました。
「おひとりさま向上委員会」の現代表であらせれる葉石かおりさんによれば、
「個が確立している大人の女性。
家族や恋人、友人と過ごす時間を大切にしながらも、
自分1人の時間も楽しく豊かに過ごす人たち。」
ということなのですね。
このあたり微妙なところで、当初は女性について言われる言葉のように聞こえていたのですが、
どうやら男性の「おひとりさま」というのも認知されているらしい。
とはいえ、元気が良いのはやっぱり女性たちだろう。
こうした現象はきっとバブルにまみれた90年代後半から既にあったんじゃないかな。
まぁ、わたしがこの言葉を知らなかっただけなんだけど・・・。
ひとりで人生を謳歌する独身のことをわたし達の時代には「独身貴族」と言いました。
でも、その言葉には今のようなポジティブなイメージはなくて、むしろ馬鹿にした言い方でした。
30歳を過ぎてもひとりの時間が長くなっている現代においては、ちょっと見方が違ってきましたね。
わたし自身も、けっして良いこととも思ってはいませんが・・・。
それぞれの経済活動を考えてみたのですが、
クルマやオーディオなどの物質消費に熱心な男性にくらべて、
女性たちは自分磨きやバカンスなどの感覚的な消費行動にお金を使っているように思います。
もともと好奇心が強い女性ならではの消費行動なのでしょうが、
ウチにこもる(ひきこもり?)男性にくらべて、積極的に社会に係わろうとする女性が
やっぱり現在の経済を支えていると言っても過言ではないのでは。
時に負け犬などと揶揄されることもありますが、
わたしは女性たちが元気でいられることこそが大事なことだと思っています。
自分自身の時間を大事にして、ポジティブに生きる女性をこれからも応援していきます。
昨日、しばらく通っていた歯医者さんで"おひとりさま"という言葉と出会いました。
世間を知らないというのか、この言葉を始めて認識しました。
「おひとりさま向上委員会」の現代表であらせれる葉石かおりさんによれば、
「個が確立している大人の女性。
家族や恋人、友人と過ごす時間を大切にしながらも、
自分1人の時間も楽しく豊かに過ごす人たち。」
ということなのですね。
このあたり微妙なところで、当初は女性について言われる言葉のように聞こえていたのですが、
どうやら男性の「おひとりさま」というのも認知されているらしい。
とはいえ、元気が良いのはやっぱり女性たちだろう。
こうした現象はきっとバブルにまみれた90年代後半から既にあったんじゃないかな。
まぁ、わたしがこの言葉を知らなかっただけなんだけど・・・。
ひとりで人生を謳歌する独身のことをわたし達の時代には「独身貴族」と言いました。
でも、その言葉には今のようなポジティブなイメージはなくて、むしろ馬鹿にした言い方でした。
30歳を過ぎてもひとりの時間が長くなっている現代においては、ちょっと見方が違ってきましたね。
わたし自身も、けっして良いこととも思ってはいませんが・・・。
それぞれの経済活動を考えてみたのですが、
クルマやオーディオなどの物質消費に熱心な男性にくらべて、
女性たちは自分磨きやバカンスなどの感覚的な消費行動にお金を使っているように思います。
もともと好奇心が強い女性ならではの消費行動なのでしょうが、
ウチにこもる(ひきこもり?)男性にくらべて、積極的に社会に係わろうとする女性が
やっぱり現在の経済を支えていると言っても過言ではないのでは。
時に負け犬などと揶揄されることもありますが、
わたしは女性たちが元気でいられることこそが大事なことだと思っています。
自分自身の時間を大事にして、ポジティブに生きる女性をこれからも応援していきます。
2006年06月11日 (日) | 編集 |
PHP研究所の出版物が好きで、気になるタイトルがあると買って帰ります。
今夜、コンビニで『PHP』ベストセレクション“わたしの幸福論”を偶然発見しました。
これまでPHP誌上に掲載された各界の方々が書かれた「幸福」をテーマにして
エッセイがたくさん詰まっていて、気になる方だけちょっと読みました。
生き方を学ぶために多くの人の意見を取り入れることが大切だと思っているので、
子どもの頃から小説は読まなくても随筆・エッセイのたぐいはたくさん読みました。
男性、女性に限らず、あらゆる分野の方々の本を読んで、
書き手がどのような思いで現代を生きているかを盗み取るような気持ちで読んでいました。
もうわたしも良い歳になるので、誰かに学ぶまでもなく、
自分なりの生き方をしているように感じています。
まだまだ、“わたしの生き方は、こうです”と表だって言えるほどのものはありませんけど・・・。
わたしの施設に新卒の新人が入りました。
今日はようやく少し話をすることができました。
既に社会人経験がある人や他の施設を経験している人が入ってくるのと違い、
新卒の新人に対しては、上司としての立場からすると今でも緊張します。
話をしたというよりも、1度目は新人のミスを注意して、
2度目はフォローして、こうしたら良かったとアドバイスしたりと、
こちらが一方的にしゃべって、新人は「はい」と答えるだけでした。
彼と話したことの一つに食事後の会話で、
新人が自分の食事が終わってさっさと席を立ってしまったことに対して、
「わたしたちがしなければならないことは、食事を同じ席で介助しながらとるだけではなく、
利用者さんが落ち着いた雰囲気で、最後まで食事ができるようにその環境を作ることでもあるんですよ」
そう伝えて、自分の片付けが終わったら、すぐに元のテーブルや他のテーブルで
まだ食事を終えていない利用者さんの様子を見るように指示しました。
わたしが伝えたかったポイントは、食事を取らせることばかりが仕事ではなく、
むしろ落ち着いた環境をつくることの方が大切なんだよ、という点でした。
瀬戸内寂聴さんの文章に中に「互いを思いやる想像力をもつ」という言葉がありました。
食事の場面を考えると、利用者さんの食べているお膳の中がどのくらい減っているかは一目瞭然です。
また気持ちよく食べているか、嫌々食べているかも顔を見れば判ります。
けれども利用者さんが本当はどのような気持ちで食べているかは見ることはできません。
施設の多くは集団で食事をとることになります。
まぁ、養護学校を含め多くの時間をそのような環境で食事をしてきたと言えるのですが、
ただでさえ落ち着いて食べられる環境ではありません。
そうしたことに気づき、それどうにかして落ち着いた雰囲気を作っていくためには、
目に見えないものを想像する気持ちがなければできません。
とかくわたしたちは目に見える事柄にばかり、目を奪われ、本質を見失うものです。
新人にはいろいろな職員の考えにふれて、時にはたくさん失敗して、
相手のココロがわかる職員になって欲しいと願っています。
今夜、コンビニで『PHP』ベストセレクション“わたしの幸福論”を偶然発見しました。
これまでPHP誌上に掲載された各界の方々が書かれた「幸福」をテーマにして
エッセイがたくさん詰まっていて、気になる方だけちょっと読みました。
生き方を学ぶために多くの人の意見を取り入れることが大切だと思っているので、
子どもの頃から小説は読まなくても随筆・エッセイのたぐいはたくさん読みました。
男性、女性に限らず、あらゆる分野の方々の本を読んで、
書き手がどのような思いで現代を生きているかを盗み取るような気持ちで読んでいました。
もうわたしも良い歳になるので、誰かに学ぶまでもなく、
自分なりの生き方をしているように感じています。
まだまだ、“わたしの生き方は、こうです”と表だって言えるほどのものはありませんけど・・・。
わたしの施設に新卒の新人が入りました。
今日はようやく少し話をすることができました。
既に社会人経験がある人や他の施設を経験している人が入ってくるのと違い、
新卒の新人に対しては、上司としての立場からすると今でも緊張します。
話をしたというよりも、1度目は新人のミスを注意して、
2度目はフォローして、こうしたら良かったとアドバイスしたりと、
こちらが一方的にしゃべって、新人は「はい」と答えるだけでした。
彼と話したことの一つに食事後の会話で、
新人が自分の食事が終わってさっさと席を立ってしまったことに対して、
「わたしたちがしなければならないことは、食事を同じ席で介助しながらとるだけではなく、
利用者さんが落ち着いた雰囲気で、最後まで食事ができるようにその環境を作ることでもあるんですよ」
そう伝えて、自分の片付けが終わったら、すぐに元のテーブルや他のテーブルで
まだ食事を終えていない利用者さんの様子を見るように指示しました。
わたしが伝えたかったポイントは、食事を取らせることばかりが仕事ではなく、
むしろ落ち着いた環境をつくることの方が大切なんだよ、という点でした。
瀬戸内寂聴さんの文章に中に「互いを思いやる想像力をもつ」という言葉がありました。
食事の場面を考えると、利用者さんの食べているお膳の中がどのくらい減っているかは一目瞭然です。
また気持ちよく食べているか、嫌々食べているかも顔を見れば判ります。
けれども利用者さんが本当はどのような気持ちで食べているかは見ることはできません。
施設の多くは集団で食事をとることになります。
まぁ、養護学校を含め多くの時間をそのような環境で食事をしてきたと言えるのですが、
ただでさえ落ち着いて食べられる環境ではありません。
そうしたことに気づき、それどうにかして落ち着いた雰囲気を作っていくためには、
目に見えないものを想像する気持ちがなければできません。
とかくわたしたちは目に見える事柄にばかり、目を奪われ、本質を見失うものです。
新人にはいろいろな職員の考えにふれて、時にはたくさん失敗して、
相手のココロがわかる職員になって欲しいと願っています。
2006年06月11日 (日) | 編集 |
わたしは母を亡くしたことで自分の家の宗派が浄土宗であることを知りました。
ですから仏壇を前にして“南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)”と唱えます。
それほど信心深いわけではありませんが、春のお彼岸の折りにお寺からカレンダーを頂き、
部屋の見えるところに掛けてあります。
このカレンダーには毎月の言葉というものが書かれています。
タイトルの言葉が6月のお言葉です。
これまでの月ではそれほどショックを受ける言葉はなかったので、
今月のお言葉には、かなりやられてしまっています。
どちらにしても結果は同じです。
このところ障害者施設をめぐる現状を考えていますが、
時代に合わせて変わることを要求されているのだと思っています。
わたしの施設でも新体制への移行はできないという判断を行政に伝えました。
障害程度区分の問題や新事業体系に移行しても収入が減ってしまうことなど、
条件が揃っていない状況では安易に移行はできないというのが理由でしょう。
しかし、もう少し別の角度から見たら、
あれこれと理由をつけて宿題をやらない小学生と変わらないような理屈に聞こえます。
小学生が一足飛びに大学を受験するというのは到底無理な話ですが、
一歩一歩努力を続けることが、大学合格につながるんだと思います。
何も国は施設利用者のすべてが企業に就職して、
自立した生活をしなさいと言っている訳ではないと思います。
どんな時代になっても施設を必要とする人は、いなくならないと思います。
しかし、別の選択肢があることも知らされずに暮らしつづけることが良いことでしょうか。
集団生活を余儀なくされる施設という空間が嫌で、
自由をもとめて自活事業を経て、グループホームへ移行した人たちがいます。
大勢の支援者によってバラバラな言葉掛けがされることで、
混乱してしまうタイプの自閉傾向の人には、
集団生活よりも個別対応がしやすいユニットケアやグループホームの方が合う気がします。
さまざまなアプローチがあるにもかかわらず、
これまでやってきた支援に、しがみつこうとしているようにも見えます。
全てが変われと言っているのではありません。
無限の可能性を秘めている利用者さんはきっといると思うのです。
そうした一人ひとりを大事にしていって欲しいと思うのです。
制度がころころと変わってしまうために、落ち着いて考えることもままならないのだと思います。
こういう時代だからこそ、根を大地にしっかり踏ん張って、
わたしたちがしなければならないことを見極めないといけないと思います。
「転がる岩にはコケは付かない」と言いますが、
常に新しいものを取り入れていく心構えがないと組織はすたれてしまいます。
浄土宗のホームページからの引用です。
お釈迦さまは『法句経』のなかで
「錆(さび)は鉄から生まれるが、その錆は鉄を傷つけてしまう。
人も愚かな自分の行動が、自らを悪処におとしめてしまう」と言われています。
努力を怠っていると、自分の身から出た錆で、自分の身を滅ぼしてしまうそうです。
ですから仏壇を前にして“南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)”と唱えます。
それほど信心深いわけではありませんが、春のお彼岸の折りにお寺からカレンダーを頂き、
部屋の見えるところに掛けてあります。
このカレンダーには毎月の言葉というものが書かれています。
タイトルの言葉が6月のお言葉です。
これまでの月ではそれほどショックを受ける言葉はなかったので、
今月のお言葉には、かなりやられてしまっています。
どちらにしても結果は同じです。
このところ障害者施設をめぐる現状を考えていますが、
時代に合わせて変わることを要求されているのだと思っています。
わたしの施設でも新体制への移行はできないという判断を行政に伝えました。
障害程度区分の問題や新事業体系に移行しても収入が減ってしまうことなど、
条件が揃っていない状況では安易に移行はできないというのが理由でしょう。
しかし、もう少し別の角度から見たら、
あれこれと理由をつけて宿題をやらない小学生と変わらないような理屈に聞こえます。
小学生が一足飛びに大学を受験するというのは到底無理な話ですが、
一歩一歩努力を続けることが、大学合格につながるんだと思います。
何も国は施設利用者のすべてが企業に就職して、
自立した生活をしなさいと言っている訳ではないと思います。
どんな時代になっても施設を必要とする人は、いなくならないと思います。
しかし、別の選択肢があることも知らされずに暮らしつづけることが良いことでしょうか。
集団生活を余儀なくされる施設という空間が嫌で、
自由をもとめて自活事業を経て、グループホームへ移行した人たちがいます。
大勢の支援者によってバラバラな言葉掛けがされることで、
混乱してしまうタイプの自閉傾向の人には、
集団生活よりも個別対応がしやすいユニットケアやグループホームの方が合う気がします。
さまざまなアプローチがあるにもかかわらず、
これまでやってきた支援に、しがみつこうとしているようにも見えます。
全てが変われと言っているのではありません。
無限の可能性を秘めている利用者さんはきっといると思うのです。
そうした一人ひとりを大事にしていって欲しいと思うのです。
制度がころころと変わってしまうために、落ち着いて考えることもままならないのだと思います。
こういう時代だからこそ、根を大地にしっかり踏ん張って、
わたしたちがしなければならないことを見極めないといけないと思います。
「転がる岩にはコケは付かない」と言いますが、
常に新しいものを取り入れていく心構えがないと組織はすたれてしまいます。
浄土宗のホームページからの引用です。
お釈迦さまは『法句経』のなかで
「錆(さび)は鉄から生まれるが、その錆は鉄を傷つけてしまう。
人も愚かな自分の行動が、自らを悪処におとしめてしまう」と言われています。
努力を怠っていると、自分の身から出た錆で、自分の身を滅ぼしてしまうそうです。
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