ネコ検定作ってみました

朝からネットを散歩していたら、
自分で『○○検定』を作れるサイトを見つけました。
本当は仕事からみの検定を作りたかったんですが、
小手調べにネコとのコミュニケーション検定を作ってみました。


ネコとのコミュニケーション検定 powerd by けんてーごっこ

5問作ったんですが、超簡単な問題です。
自分で作っているのですから、
全問正解は当たり前なのですが、
合格者には認定証が発行されます。
ぜひ、挑戦してみてください。



にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ

先輩からの声掛けが大事。

なんと今年になってカテゴリー『ココロについて』は、
一件も記事を書いていないことに気づきました。
そこで思いつくままに『ココロ』について書いてみます。

4月は新人さんが入ってきたり、
人事異動があったり、配置換えがあったりして、
人がたくさん動く時期ですね。
ウチのような福祉施設は、こぢんまりとしているので
あまり代わり映えしないメンバーです。

今年は3月から研修で働いていた新人2名と、
外部委託している給食サービスに1名の
3名の女性の新人さんが配属になりました。
そして月曜日からハウスキーパーとして、
年配の男性が来ています。

新しく来た人とのファーストコンタクトは大事ですね。
朝礼で挨拶されてから、最初に直接話す時には緊張しますよね。
事務方としては施設内での決まり事なんかを伝えるなど、
こちらから話す機会が多いので、
積極的にこちらから話しかけるようになります。

そうした時こそ、笑顔を欠かさず優しい口調で話しかけます。
「わからない事があったら、事務所に必ずいますから
 何でも聞いてくださいね。」って言います。
新人さんにはできるだけ、聞いて欲しいと思っているので、
その後も廊下ですれ違った時など話しかけたりします。

しばらく前に職員から、
「新人の時に良く声掛けてもらってありがたかった」
と言われて嬉しく思ったことがありました。
心細い時期に話す相手がいるということは心強いと思います。
特に福祉の現場は、聞いている時間もないうちに
実践の場に置かれてしまうことも多く、
ゆっくり質問する間も無いことがあります。

だからこそ先輩職員こそ気を利かせて、
「大丈夫、分からないことない?」
などと声をかけてあげる必要があるように思います。

あれっ、ぜんぜんココロの話になっていませんね。

にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ

theme : 現場職員のぼやき・悩み
genre : 福祉・ボランティア

「自分の感受性くらい」(長文)

『陽だまりのねごと』というブログを書いている
みかんさんが懐かしい詩を紹介して下さっていました。
わたしが書いた2006年の記事が発端となっていたのですが、
ブログを引っ越しした時点で消してしまったので、
わたし自身の振り返りもかねて、再度アップしてみたいと思います。

 ↓ これより過去記事

「自分の感受性くらい」

大人になって真剣に怒られることが少なくなった。
子供の頃には親が、学生時代は先生が怒ってくれた。
信頼できる友人が出来れば、怒ってくれることもあった。
会社勤めを始めると仕事でミスをして上司に怒られた。

しかし、社会人生活も長くなると、部下ができたりして
立場が逆転する。
叱るというのはとっても難しいものだとしみじみ思う。
できれば叱るより褒めたい。
でも小さなことから叱ることができたら、
その人を伸ばすことができるかもって思う。

昔買った本の話です。
ある親しい方がやっているギャラリーのイベントで、
詩の朗読会をしましょうというのがありました。
プロの朗読を聴くというのではなくて、
朗読するのは参加者自身。
それぞれが自分の読みたい詩を探してきて、
みんなの前で発表しましょうというイベントでした。

その折りに何かないかと書店で探したのが、
童話屋から出ている「ポケット詩集」という
とても小さなハードカバーの本です。
ここに収められた詩は、誰もが一度は目にした
ことがある詩ばかりです。
その中の最後の詩が「自分の感受性くらい」です。
実際には臆してしまってイベントには参加しませんでした。


自分の感受性くらい 茨木のり子

ぱさぱさにかわいていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
他人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
何もかもへたくそだったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


初めて目にした詩でしたが、がーんときました。
何もかも人のせいにしてしまっていたかも知れない。
今の時代が悪いのは政治家のせいだとか、
仕事が辛いのは会社のせいだとか。
本当に大切なのは自分はどうなのだ、
ということだったのですね。

同時に活字の強さを感じました。
こんなにも人のココロを動かす言葉があるのかと。
詩人の事が知りたくてネットで調べてみると、
この詩ができるきっかけは戦時中にあったそうです。
戦争中は一億玉砕というような感じで、
自意識を持つこと自体が非国民とされる時代でした。
そんな中で茨木さんは隠れてジャズを聴いていたり、
戦争中も開いていた国立博物館に行っていたそうです。

そうしながらも一億玉砕なんておかしいと思い続けていました。
終戦後、自分の疑問はやっぱり正しかったと思ったそうです。
自分の感受性から間違えたのであったら、
間違えたと言えるけれども、
人からそう思わされて間違ったとすると、
取り返しのつかない嫌な思いをするという、
戦争時代からの思いがあって何十年も経って、
この詩が生まれたそうです。

「ばかものよ」と真っ直ぐに叱られるすがすがしさのような言葉で締めくくられた詩。
それだけで背筋がピンとする。
そして再び、うつくしいものにたくさん触れて、
何かに感動したり、ココロを揺り動かされることで、
自分の感受性を伸ばす努力を続けましょうか。


にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ ← よろしければ「ポチッ」と応援クリックお願いします。

心のケア

先日、支援員が行った研修報告書を読みました。
内容は『利用者さんの心のケアについて』でした。
講師からの資料がついていたのでコピーを取ってきました。
講師の資料によれば、人には誰でも『自分で自分を誇れるような自分でいたい』と思う、
しっかりとした心棒のような心が備わっているのだそうです。
そしてこの心棒は大人であれ子供であれ、
ハンデを持つ人であろうと心の中に持っているのだそうです。
人は何か自分ではどうする事もできない物事が起こった時には、
この心棒にモヤモヤとした暗雲が覆い隠して、見えにくくなってしまい、
本来の働きを鈍らせてしまいます。

利用者さんにしてみれば、心に沸き立つモヤモヤとした暗雲とともに、
その事を周りの人に伝える術が無い事で、
さらなる苦しみを抱える事になるのではないでしょうか。

わたしたちは苦しみを感じたり、落ち込んだりした時に、
周りにいる人に愚痴ってみたり、わたしのようにブログに書き出してみたりして
苦しみが軽くなった経験をしたことが何度かあると思います。
しかし、利用者さんたちはハンデがあることから、
ずっと我慢してきたのでしょう。
その緊張の糸が切れて表に現れた行動が、
パニック、自傷、他害などとなってしまっているのでしょう。

初めに書いた通り、人はそもそも『なりたい自分』を持っているのに、
二次的な原因から、本来の自分になりきれていないと言えます。
心のケアとは、そうした利用者さんの内面を理解することから始まるのだと書かれてありました。


にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ ← よろしければ「ポチッ」と応援クリックお願いします。ランキングが上がればとっても嬉しいです。

人生論を読む

いい歳をして、未だに『ハウツー本』みたいな本を買ってしまいます。
女性を対象にした自己啓発本なんかも読んだりしますが、
最近クルマに乗せている文庫本は『弘兼憲史のアツイ人生論』という本です。
弘兼さんと言えば『課長 島耕作』で有名な漫画家です。
しばらく前にも同様なテーマの氏の著書を手にしたものですが、
漫画家というのは時代に敏感というのか、
新たな視点でサラリーマン人生を説いてくれるので、
なかなか面白く読ませてもらいました。

もともとが20代から30代を対象としたような文章なので、
わたし自身が経験してきたことの振り返りのように感じます。
しかし、わたしの半生は公務員のようなものですが、
ここで登場するのは企業に働くサラリーマンのお話です。
それでも弘兼氏の本を手にしてしまうのは、
『島耕作』などにみる男としての生き様にココロが動かされるからです。

みなさんは『島耕作』をどう見るだろうか。
気がつくと彼の役職は既に取締役になっている。
さらには何人もの女性と付き合いながら、決して悪人になっていない。
仕事も女も手に入れているスーパーマンのようです。

しかし、著者は彼をスーパーマンと思ったことはないと書いています。
彼には彼なりのルールにしたがって、日々努力を重ねているだけ。
そうした彼の行動自体がそういった幸運を呼び込んでいるにすぎない。
そんな風に解説していました。

『論語』で孔子は『四十而不惑(四十にして惑わず)』と言っていますが、
わたしはまだまだ自分がどういった信念に基づいて、
自分を処すべきかが判らずにいます。
それでも様々な場面で決断を求められる時に、早く決断できるように努めてきました。
その結果は正しい時もあれば、失敗だったという時もあります。
何事もたくさん経験することでしか、自分の道を切り開くことはできないと思います。

会社では『上司』と呼ばれる立場にいます。
いつでも部下や同僚が、わたしの背中を見ていることと思います。
見本、手本になるような生き様ではありませんが、
きっといつかはそうなれるように自分を磨いていかないとなりませんね。

にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ ← よろしければ「ポチッ」と応援クリックお願いします。ランキングが上がればとっても嬉しいです。

『医と私と親鸞』

この文章を書く前に2つの文章を読んでいました。
一つはsperanzaさんのところの「保健福祉領域の教育について」にある、
「食事介助から援助の意味を考える」
「望ましくない食事介助がおこなわれている」という文章でした。
この文章自体は2年前の平成17年9月に書かれたもので、
介護保険下においてケアプランが優先されることで、
利用者さんの意志や気持ちが失われてしまう危機感を訴えています。

もう一つは、『医と私と親鸞』という文章。
駒沢勝さんという医師がお書きになったエッセイを、
『坊さんの小箱』というHPの管理人の棚原正智さんが、
OCRソフトによって書き起こした文章です。
このエッセイは五木寛之さんの『生きるヒント3』の中で、
対治と同治の話について引用していることで有名な文章です。
全文を改めて読んでみると昭和58年に書かれた文章にしては、
まったく古く感じさせない文章で、真理というものは変わらないとしみじみ思いました。

半日かかって2つの文章を読み終えて、
なんと人間というものは業に突き動かされているものかと思いました。

医療や福祉に身を置く職員達は、
患者さんたちがより良くあるようにと思って、あれこれとするのですが、
それらは実は自分の価値観に基づいて、自分の意志を押しつけているのと同じ。
「なかなか食べてもらえないので、どうしたら食べてもらえるのか」
「栄養ケアプランにはこうあるので、完食しなくてはいけない」
すべては否定から始まっている。

『医と私と親鸞』の中でも、医学・科学は否定を基本にすると書いています。

例えば、「目が見えないのはダメだ」、「耳が聞こえたいのはダメだ」、「四肢が不自由なのはいけない」等々である。この否定を全ての出発点にしている。


科学もそうでしょう。「必要は発明の母」と言いますが、
不便であること、すなわち否定的にとらえることから進歩は始まります。

それに対して神や仏は、ありのままの全てを受け入れられます。

仏は、死ぬも生きるも平等に観られる。死ぬのは悪く、生きるのは良いとはされない。「目が見えるも、見えないも、自分の心の中では全く同じだ」と言われる。「知能指数の高い人も、低い人も、自分の前では全く平等だ」と言われる。


絶対的な許しの中でわたしたちは生かされている。受け入れられている。
そう思った時、わたしはとても心強く思えました。

このように書くとわたしがとても信心深いと思われるかもしれませんが、
決してそのようなことはなく、大きな何かに見守られているという、
小さい頃からの漠然とした思いを文章を読むことで再確認できたというだけです。

にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ ← よろしければ「ポチッ」と応援クリックお願いします。ランキングが上がればとっても嬉しいです。

先輩としての落とし穴

夕べは新人歓迎会でした。
幹事でもあったのでいろいろと気を使い、疲れてしまいました。
今年入った新人はおとなしめの人が多かったので、
センターに座ってもらったのですが、上手にうち解けていたのか心配でした。

何とか話をつなげようと、いろいろ話しかけたりするのが、
空回りしてしまっていたかなと反省したりしています。
新人の一人と話している途中、利用者さんとのコミュニケーションの話になり、
新人が一言、こんな事がありましたよと話してきたので、
そうそう○○さんは、こんな事も言ったり、こういう風に言うとこう返してくるよ、などと、
一方的に話しまくってしまいました。
新人は真面目な人でしたから、一つひとつ頷いて聴いてくれていましたが、
今思えば、○○さんの事なら『何でもわたしは知っている』と言わんばかりでした。

極端な考え方をすれば、君は何も知らない。だから何でも教えてあげよう。
そこまで思わないにせよ、先輩職員としての落とし穴にはまっていると感じます。
施設職員に限らず、親子関係でも、
障害を持った対象者の事について、それぞれ自分が一番知っていると思いたい感情があります。
新人が『こんな事がありましたよ』と話した瞬間に、
まさに『あぁ、あぁ、あれね!』とばかりに自分の経験に基づいた事柄に、
自分のアタマの中で勝手にすり替えてしまいます。
新人と○○さんとの出来事は、その2人のものなのですから、
そこで起こった事柄は、聴いているわたしのものではありません。
また、似たような出来事であっても、わたしが接した時の○○さんの状態と、
新人と接した○○さんの状態は同じものではなく、
その人なりの経験を積んで、成長しているのですから、
全く同じというはずが無いことを忘れてしまっています。

『この人はこうだ!』と決めつけてしまう恐ろしさがあると気づきました。
何故こんなことを考えたかというと、
イナッフ・フォア・トゥデイ?というサイトのメーリングリストを購読していて、
その中で似たようなやりとりが書かれていたからなのです。
重要なことは、それぞれの人の感じ方を認める(違っていることを認める)。
そして、それぞれの感じた事を集約して、次につなげることが大切なのでは。
歓迎会のシーンでも自分ばかりがしゃべるのではなく、
○○さんを通して、障害者と接する楽しさや素晴らしさなんかを共有できたら、
もっと有意義なものになったんじゃないかと思いました。



このところ部屋でかけるCDは、バリの音楽ばかり聴いています。
と言っても数枚しか持っていないので現在探し中です。
いまかかっているのは、『Spirit of Healing〜Bali〜 久保田麻琴』です。
こうしたCDはジャケット自体もキレイなので、脳内リゾートにはまっています。


にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ ← よろしければ「ポチッ」と応援クリックお願いします。ランキングが上がればとっても嬉しいです。

過ぎたるは及ばざるが如し

土曜日に生涯学習センターで市民自主企画講座の1日目の講義をしてきました。
毎年この時期に交流分析をわかりやすく一般市民に紹介する
2日間の講座の講師をさせていただいています。
毎回、行ってみないと出席者が何人いるのか判らないのですが、
今回ばかりはちょっと凹みました。
受講希望者5名で、出席された方がたったの3人でした。

これまで多いときには受講希望者が30人を超えることがあって、
主催者側から大丈夫ですかと、心配いただいたこともあったくらいでした。
市民自主企画講座の受講者は一般市民を対象としているので、
これまでは多くの世代の受講があったのですが、
そのほとんどは年配というのか、お年寄りの参加がほとんどです。
何が原因なのか考え直してみないといけないかも。

さて、3名の受講者を相手に講義を進めるのですが、
ちょっとしたトラブルが起こりました。
90分くらいの講義なので途中で質問タイムを数回取るのですが、
一人の女性から質問というよりも、体験談のような話をされました。
せっかくの機会だからと、こちらも相づちを打ちながら
その方の話をしばらく聞いていました。

そうしたら後ろに座った男性から声が、
『先生、そのくらいにして講義を進めてください。』
『わたしは先生の話を聞きにきているんですから』
ちょっと怒られてしまいました。

わたしはこの講座の後半の話の中で、聞き上手について話をします。
ですからデモンストレーションを含めて受講者からの話は、
できるだけ聴くように心がけてきました。
しかし、過ぎたるは及ばざるが如しで、適当なところで切り上げないと、
今回のように指摘を受けてしまうこともあります。
結構、自覚はしてるんです。
こうした年配の受講者の話というのはどうしても長くなったり、
聴きようによっては自慢話に聴こえてしまう話も多いことを知っています。
だからこそ、しっかり聴きたいと思っているのですが、
どこまで聴いて講義に戻るかというタイミングが掴めずに、
ダラダラと聴いてしまうことが多いなぁと思っていました。

ご指摘をされた男性も講義が終わった段階で、
ちょっと数分いいですか、と前置きした後、
先の女性と同じように私は今日の話をこう受け取ったと、
自分の体験談を交えてお話しいただきました。

やっぱり相手の話したいなりに聴こうとすると、
どうしても長い時間を使ってしまうことになります。
『話す』という行為は、ココロを『放す』ということにつながります。
ですから話して満足していただけるのであれば、
わたしが受け持つ講義の時間内は聴いてあげたいと思っている訳です。

にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ ← よろしければ「ポチッ」と応援クリックお願いします。ランキングが上がればとっても嬉しいです。

第293回「雨の日に出かけるとしたら?」

FC2トラックバックテーマ第293回「雨の日にあえて出かけるとしたら?」

ここ何日か更新をしていなかったので、すっかりランキングも落ちて、
圏外への道まっしぐらといった感じです。
こうしたネタ切れに時に便利なのがトラックバックテーマですね。

山梨では今年の梅雨は、本当に梅雨らしい日が少ない感じです。
まぁ昨日今日なんかはぐずついた空模様といった天気ですが、
まったく強い雨は降りません。
(大雨の続いている地域の方々にはお見舞い申し上げます)

さて、本題の雨が降ったらどこへ出かけるかという問題ですが、
わたしの高校時代の山岳部の顧問の言葉に、
『雨も天気のうち』
という名言があります。
わたしは今でもこの言葉を大事にしています。
だからという訳では無いのですが、あえて山歩きに行こうとか思います。

何より注意報が出ているような荒天時は論外ですが、
シトシト降る雨の中、カッパを着て歩くのも乙なものです。
まぁほとんどマニアの世界になりますが、
土や木の葉に落ちる雨粒の音やカッパのビニールに当たる音とか、
普段気にすることも無いような音の洪水の中に身をおく訳です。
本当に自然の音だけの世界を楽しむことができます。

ただ歩くだけというのも芸がないので、
目的地の近くや帰り道で露天風呂なんかがあると、これまた良いですね。
しばらく前に八ヶ岳の本沢鉱泉に行った時も雨降りでした。
雨の間隙をついての露天風呂でしたが、
やっぱり日本最高所の露天風呂ということもあって最高でした。
雨の露天風呂というのはツゲの笠なんか用意してある所もあって、
また違った風情で楽しむことができます。



何はともあれ、雨降りは気が滅入ると思う方もありますが、
わたしの先生がおっしゃったように、雨も天気の一種類に過ぎません。
人生も良いことばかりが続くものではありません。
楽しいことがあったり、苦しいことがあったり、落ち込むことがあったり。
天気と同じように目まぐるしく移り変わるものなのです。
時には悪いことが起こっても、『雨も天気のうち』と思って、
また次の日がきたら晴れるかも知れないと思うようにしています。

にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ ← よろしければ「ポチッ」と応援クリックお願いします。ランキングが上がればとっても嬉しいです。

職場のコミュニケーション

今夜、わたしが講師となって職場内学習会をすることになっています。
テーマは『職場におけるコミュニケーション』についてです。
交流分析を使った心理テストで自己分析をしてもらうのが目的です。
市民自主企画講座の下準備を兼ねた、わたしにとってのプレイベントです。

今回わたしが話したいと思っていることの一つは、
職員自身のココロの安定が、利用者支援をより良いものすると考え、
自分自身の内面を客観的に知ることによって、
どうしたら様々なストレスに打ち勝って平静にいられるか、
自分を知ってもらいたいという事です。

福祉職場とは言え、普通の会社と同じように上司部下の関係があったり、
経験を積むにつれて仕事量が増えていったり、
様々な要素でそれらがストレスとなっていくことがあります。
そうしたストレスに元々強いタイプであれば問題はありませんが、
そうではないとストレスを抱え込んだまま落ち込んでしまったり、
場合によっては、他人にぶつけて解消しようとしてしまったりしては困ります。

とりわけウチは社会的弱者である知的障害者のケアをする会社です。
ニュースなどで取り上げられるような利用者さんへの虐待など、
思わぬ方向へつながってしまっては社会的信頼を損なう結果にもなります。

そのためには職員同士のコミュニケーションが大事になります。
大勢の利用者さんを少ない職員でケアする訳ですから、
自ずとお互いのチームワークが大切になります。
職員に伝えたい2つ目のテーマは『互いを認め合う』ということです。
もっとも簡単な方法は、あいさつを交わすということです。

人は元々他人に認められたいという基本的な欲求を持っています。
そのため他人から褒められたり、励まされたりすると心地いい気分になります。
福祉職場では利用者さんに対しては、努めてそのように接するものです。
しかし、職員同士だとそうではなかったりするケースを見かけます。

それぞれに理由はあると思いますが、
原点に返って、お互いを認める姿勢で付き合うことができたら、
さらに良い利用者支援につながると思います。
そのきっかけとして『あいさつ』を大切にして欲しいと思います。

昨日、施設長が紹介していたのですが、

おはようございます
ありがとうございます
失礼しました
すみませんでした


これらの頭文字を取った『おあしす』という言葉があるそうです。
とっても簡単な言葉なので、ぜひ実践していって欲しいと思います。

にほんブログ村 介護ブログ 障害者福祉・介護へ ← よろしければ「ポチッ」と応援クリックお願いします。ランキングが上がればとっても嬉しいです。

theme : 福祉のお仕事
genre : 福祉・ボランティア

FC2カウンター
カレンダー
07 ≪│2008/08│≫ 09
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
プロフィール

Heart さん

Author:Heart さん
山梨県にある知的障害者の入所施設で事務員をやっています。
障害者福祉を話題の中心に、うつくしいものやココロについて日々感じたことをつれづれなるままに綴っています。

座右の銘は、「日々是好日」です。
過去でも未来でもない、今を大事に生きていきたいと考えています。
  since 2007/05/13

Gmail取得しました。
メールの宛先は、
Heartsan08@gmail.com まで。

QRコード
QRコード
クリック募金

けんてーごっこ
emo[エモ]
リンク
FC2検索
ブログ内検索
あし@
By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ